2017年3月の阪大自閉症サイエンスカフェ開催趣旨
「阪大自閉症スペクトラム(ASD)カフェ」から「阪大自閉症サイエンスカフェ」へ
当カフェの母体である「阪大自閉症スペクトラム(ASD)カフェ」を企画した2014年1月当時、発達障害の自助会・当事者会はいくつかありましたが、非当事者もともに同じ場に集まって話し合う機会はなかなかなく、特に「カフェ」と銘打っているものは金沢大学さんの自閉症サイエンスカフェ(「カフェで語ろう!『自閉症』」)しかありませんでした。
それから3年たった2017年現在、当事者・非当事者を交えた話し合いの場はいくつかあります。
専門家の講演を聞く大がかりなセミナーやシンポジウム等では気軽に話もできないだろうから身近な議論の場を、ということで「阪大自閉症スペクトラム(ASD)カフェ」を発足しましたが、他の方達がいろいろな集まりを運営して下さっている以上、哲学カフェを模したこの形式にいつまでもこだわる必要はないのではないかと思うようになりました。
もう一つの理由は、ASD者にとって最も身近で大切な役割を担うはずの支援職が書いた発達障害に関するある本を読んで、ASD啓発及びASD者への対応に医学的知識は絶対に必要だ、という思いを強くしたからです。
重度の知的障害の方の対応しかしたことがないから、発達障害は専門外だから、個人個人で特性は様々なので医学的知識は直接適用できないから、などの理由でいい加減な対応をする心理士や就労支援施設職員などが何人も存在します。ですから、ASD啓発のためには「哲学(カフェ)よりサイエンス(カフェ)へ」方針を転換した方がいいのではないかと考えました。
ASDに関する医学的知識の啓発の対象にはまず支援職を含めないといけない、「支援職」は啓発する側でも専門家でもない、というのが現実です。
心理学的にわかりやすい筋の通った行動をしないからといって、ASD者は性格が悪いとか発達障害は悪いものだ、診断が悪いのだ、とか、アスペルガー症候群は虚偽の障害だなどと決めつけるのは論外です。そのようなことを書いた本を出版してしまう心理士や医師、出版社が存在することは本当に悲しいことです。
わけがわからなければ新しい見解を学べばいいのです。一部の健常者はどうして型にはまり切った思考にしがみつくのでしょうか。
私達ASD当事者は勿論、当事者の周囲の人達が勉強することが必要です。ある特性が自分や身近なASD者にあてはまらないからといって、医学的知見を重視する必要はない、と知識の取捨選択をしてしまうのもおかしなことだと思います。今は直接役に立たなくても、ASDについていろいろなことを「知る」こと、素直に学ぶことは、どんな人にとっても、考えて応用するための第一歩ではないでしょうか。